商学部樹徳会Q&A

商学部樹徳会Q&A

同志社大学商学部(高商部、経済専門学校を含む)の卒業生と、大学院商学研究科修了生の、唯一の同窓会です。本年度設立94周年を迎える、大学各学部の中では最も歴史の古い同窓会です。

同窓生間の交流と親睦を図ることは当然のこととして、左の綱領にありますように新島先生の建学の精神に基づいた社会への貢献、母校の更なる発展と学問水準の向上に寄与することを目的としています。

商学部樹徳会綱領

本会は同志社大学商学部(高商・経専を含む)及び大学院商学研究科の卒業生たるの自覚と同志社建学の精神をもって社会に貢献し、母校の更なる発展と学問水準の向上に寄与せんことを期す。

2001年(平成13年)10月17日制定

商学部樹徳会の名称は商学部の歴史と関連しながら変化し、現在に至っています。

(1)徳照会時代 1926年(大正15年)〜1928年(昭和3年)

 商学部の前身である高商部は同志社専門学校高等商業部として1922年、今出川校地に創立されました。1926年卒業の第二回生が世話役となって同窓会が結成され、当時の高商部校舎名「徳照館」に因んで同窓会は「徳照会」と名付けられました。翌1927年、急増する生徒数に対して「徳照館」はあまりにも手狭になったため、在校生から校舎移転運動が起こり、これが実を結んで岩倉の地に新校舎が建設され、高商部は移転しました。

(2)樹徳会時代 1929年(昭和4年)~1958年(昭和33年)

 岩倉に新築された校舎名が「樹徳館」であったため「徳照会」も「樹徳会」と改称されました。1931年高商部を同志社高等商業学校と改称、1932年に初めて専任の校長として鷲尾健治先生を迎え、意気盛んな高商健児が育っていきました。
しかし、1941年の太平洋戦争の開始によって情勢は一変します。1944年高商は経済専門学校と改称されたものの授業はほとんど行われず、出征や勤労動員の日々が続きました。そして以後1958年まで「徳照会」の活動も休眠状態を余儀なくされました。
1945年8月に終戦、授業は再開されたものの1947年からの六三制教育体制の実施によって経済専門学校は廃校となり、1949年から新制同志社大学商学部として今出川校地に再生しました。

高商・経専時代の岩倉校舎 撮影年不詳

高商記念碑

1977年(昭和52年)建立。「同志社高商之跡」と上野直蔵元同志社総長が揮毫している。

高商記念碑の由来

右中写真の記念碑の由来は1977年(昭和52年)に同志社高等学校(岩倉)改築の際移設された現存の記念碑の由来。

旧高商記念碑の由来

同志社高商は大正十一年四月今出川校地に同志社専門学校高等商業部として開校された。
昭和二年五月 官立の高等商業学校に劣らぬ学校にするため牧 達也、實生 政夫、今村 義人、新村 正七君等は、在校生八百余名の代表となり中川 清吉先生初め諸先生のご支援を得て校舎新築移転運動を起こす。その結果所要資金の半額四万円を在校生が負担することになり、目的貫徹のため総決起して一口三十円以上の募金に協力、以後の学生も同様協賛した。
この義挙による学生募金に感動された小林 正直、大澤 徳太郎、津下 紋太郎、西村 金三郎理事等の財政的ご支援により岩倉に広大なる土地が買収され昭和四年四月移転、のち校名も同志社高等商業学校と改称、ますます発展した。
しかし、戦後の学生改革により大学商学部に昇格今出川校地へ移転、昭和二十七年三月限りその輝かしい歴史をとじた。
この燃ゆるが如き愛校心による移転運動がなければ今日の岩倉校地はないであろう。
このたび江湖の卒業生有志の協賛を得、思い出深い数々の記憶が残るなつかしのこの地に碑を建て記念とする。
同志社高商之跡記念碑建立委員会

岩倉校舎の現在 沼は埋め立てられグランドに変わっている

(3)同志社大学樹徳会時代 1959年(昭和34年)~1977年(昭和52年)

 1955年になって戦後の混乱もようやく収まり、樹徳会再建の声が高まってきました。
商学部創立10周年の1959年、当時の商学部長吉川貫二先生のご尽力によって臨時総会が開かれました。新会則が制定され、会の名前も「同志社大学樹徳会」と改め、会報も復活しました。新しい会則によって年次支部、演習支部、地方支部が復活、あるいは新設され、毎年一回の定時総会も開催されるようになりました。

(4)商学部樹徳会時代 1978年(昭和53年)~

 1965年には樹徳会館が中京区新町通竹屋町下ルに開設され、会の活動も新生面を開くものと期待されましたが、1969年の学園紛争に象徴されるように、世相も新入会員の意識にも急激な変化が見られるようになり、樹徳会も一つの曲がり角にきて会館は撤収、前途を模索しながら1978年に会の名を「同志社大学商学部樹徳会」と改称、商学部卒業生を理事長に選出し、今日に至っています。事務所も会館撤収後各所を転々としていましたが、1995年に新設された商学部交流施設・樹徳会館内に新事務所を開設して事業を推進しています。

綱領にある目的を達成するために、樹徳会は以下の事業を行っています。詳細は樹徳会報で紹介しています。

(1)定時総会

 年1回、秋分の日に京都ホテルオークラで開催しています。総会では執行部より年間の活動計画が提案され、具体化のための予算を審議します。総会終了後有識者による講演会と、懇親会があります。懇親会は恩師を囲んでの近況報告や、会員相互間の交流を深める機会です。名刺を沢山用意されて総会に臨まれることをお勧めします。
懇親会終了後はゼミ単位での会合が持たれ、先輩・後輩の絆を強める場となっています。
定時総会の案内は樹徳会事務局から終身会費をお納めいただいた方々に、ハガキでお送りしています。

(2)地方支部総会

 商学部樹徳会では1959年の再発足以来、地方で活躍する会員相互の親睦と情報交換を目的とする地方支部を各地に創設してきました。現在東京、東海、石川県、広島、福岡、大阪、北海道、香川県の8支部があり、各支部で年1回の総会が開かれ、地方の会員交流の機会と場になっています、支部総会には出席した本部役員から樹徳会の現状報告、同席される学部の先生からは大学と学部の現状などが報告された後、懇親会で親睦を深めています。

(3)樹徳会報の発行とホームページの開設

 同窓生間の絆を深めるコミュニケーション・ツールとして樹徳会は「樹徳会報」を年1回発行し、またホームページを2020年9月にリニューアル開設しています。
「樹徳会報」には樹徳会の最近の活動状況や先生方の近況、ゼミ同窓会の会合報告や樹徳会員の投稿など、学生時代の思い出記事を満載しています。
ホームページでは、樹徳会の活動状況、各支部情報などのページとリンクしています。卒業後も同窓生の消息や大学の動きなどを、容易に知ることが出来ます。なお同志社樹徳会Facebookページもあります。併せてご利用ください。

(4)新入会員歓迎パーティ

 新たに樹徳会員になる新卒業生を樹徳会として歓迎し、前途を祝福する会です。毎年商学部の卒業式後に開催しています。商学部の先生方や父兄も多数出席され、学業成績優秀者、特別表彰者、スポーツ優秀者を例年十数名樹徳会として表彰しています。その後の食事会は先生方や卒業生同士との懇親を深める、学生時代最後の、記憶に残るパーティです。

(5)就職活動セミナー

 商学部在学生の就職活動の参考になるよう、商学部OBが実社会の体験を語るセミナーです。希望に応じて随時開催出来るように準備しています。

今出川校地から東へ徒歩約15分、河原町今出川下ル二筋目東入ル梶井町に商学部交流施設の樹徳会館があります。
樹徳会館は、1988年(昭和63年)同志社大学設立40周年、同志社高等商業学校設立60周年記念事業委員会(委員長前川恭一商学部長=当時=)が記念事業の一環として、商学部研究援助基金の創設と樹徳会会館建設を目標に商学部スポーツ関係者、父母会、商学部教員ら(主に樹徳会員)を網羅して募金運動を展開し、取得、同志社に寄付した施設です。
同志社大学商学部樹徳会員をはじめ大学他学部(同志社女子大学を含む)の卒業生および教職員・学生に開放し、相互の親睦を図ることを目的に使用されています。

会館付近の略図

樹徳会館内部 2階 会議室

樹徳会館内部 1階
打合せ室

同志社大学商学部、同志社大学大学院商学研究科を卒業し、または在籍された方は、同志社大学商学部樹徳会会則第5条により、自動的に樹徳会員です。
入会金12,000円(2023年より15,000円)は卒業時に代理徴収されています。樹徳会の育成・発展の資金となる終身会費をお納めくださるようお願いしています。終身会員には毎年定時総会の案内と、樹徳会報をお手許にお届けしています。

下記(メール・FAX)にお名前・卒業年度・会員番号(案内書き等のお名前の下No0000正)・メールアドレス・新住所及び旧住所・電話番号を記載の上送付願います。(恐縮ですが、電話にての受け付けは、漢字などの間違えを防ぐために致しておりません。是非とも御協力願います。)

同志社大学商学部 樹徳会

〒602–0841 京都市上京区梶井町448-78(京都市上京区河原町通今出川下る二筋目東入)
同志社大学卒業生・教職員・学生交流センター
商学部交流施設・樹徳会館
電話 (075)221–0569
FAX (075)221-0570
E-mail  
メールでのお問い合わせはこちら

Q.同志社大学商学部樹徳会とは、どんな団体ですか。

同志社大学商学部(高商部、経済専門学校を含む)の卒業生と、大学院商学研究科修了生の、唯一の同窓会です。本年度設立94周年を迎える、大学各学部の中では最も歴史の古い同窓会です。

Q.商学部樹徳会の目的をお伺いします。

同窓生間の交流と親睦を図ることは当然のこととして、下記の綱領にありますように新島先生の建学の精神に基づいた社会への貢献、母校の更なる発展と学問水準の向上に寄与することを目的としています。

商学部樹徳会綱領

本会は同志社大学商学部(高商・経専を含む)及び大学院商学研究科の卒業生たるの自覚と同志社建学の精神をもって社会に貢献し、母校の更なる発展と学問水準の向上に寄与せんことを期す。

2001年(平成13年)10月17日制定

Q.なぜ商学部樹徳会という名称なのですか。

商学部樹徳会の名称は商学部の歴史と関連しながら変化し、現在に至っています。

(1)徳照会時代 1926年(大正15年)〜1928年(昭和3年)

 商学部の前身である高商部は同志社専門学校高等商業部として1922年、今出川校地に創立されました。1926年卒業の第二回生が世話役となって同窓会が結成され、当時の高商部校舎名「徳照館」に因んで同窓会は「徳照会」と名付けられました。翌1927年、急増する生徒数に対して「徳照館」はあまりにも手狭になったため、在校生から校舎移転運動が起こり、これが実を結んで岩倉の地に新校舎が建設され、高商部は移転しました。

(2)樹徳会時代 1929年(昭和4年)~1958年(昭和33年)

 岩倉に新築された校舎名が「樹徳館」であったため「徳照会」も「樹徳会」と改称されました。1931年高商部を同志社高等商業学校と改称、1932年に初めて専任の校長として鷲尾健治先生を迎え、意気盛んな高商健児が育っていきました。
しかし、1941年の太平洋戦争の開始によって情勢は一変します。1944年高商は経済専門学校と改称されたものの授業はほとんど行われず、出征や勤労動員の日々が続きました。そして以後1958年まで「徳照会」の活動も休眠状態を余儀なくされました。
1945年8月に終戦、授業は再開されたものの1947年からの六三制教育体制の実施によって経済専門学校は廃校となり、1949年から新制同志社大学商学部として今出川校地に再生しました。

高商・経専時代の岩倉校舎 撮影年不詳

高商記念碑

1977年(昭和52年)建立。「同志社高商之跡」と上野直蔵元同志社総長が揮毫している。

高商記念碑の由来

右中写真の記念碑の由来は1977年(昭和52年)に同志社高等学校(岩倉)改築の際移設された現存の記念碑の由来。

旧高商記念碑の由来

同志社高商は大正十一年四月今出川校地に同志社専門学校高等商業部として開校された。
昭和二年五月 官立の高等商業学校に劣らぬ学校にするため牧 達也、實生 政夫、今村 義人、新村 正七君等は、在校生八百余名の代表となり中川 清吉先生初め諸先生のご支援を得て校舎新築移転運動を起こす。その結果所要資金の半額四万円を在校生が負担することになり、目的貫徹のため総決起して一口三十円以上の募金に協力、以後の学生も同様協賛した。
この義挙による学生募金に感動された小林 正直、大澤 徳太郎、津下 紋太郎、西村 金三郎理事等の財政的ご支援により岩倉に広大なる土地が買収され昭和四年四月移転、のち校名も同志社高等商業学校と改称、ますます発展した。
しかし、戦後の学生改革により大学商学部に昇格今出川校地へ移転、昭和二十七年三月限りその輝かしい歴史をとじた。
この燃ゆるが如き愛校心による移転運動がなければ今日の岩倉校地はないであろう。
このたび江湖の卒業生有志の協賛を得、思い出深い数々の記憶が残るなつかしのこの地に碑を建て記念とする。

同志社高商之跡記念碑建立委員会

岩倉校舎の現在 沼は埋め立てられグランドに変わっている

(3)同志社大学樹徳会時代 1959年(昭和34年)~1977年(昭和52年)

 1955年になって戦後の混乱もようやく収まり、樹徳会再建の声が高まってきました。
商学部創立10周年の1959年、当時の商学部長吉川貫二先生のご尽力によって臨時総会が開かれました。新会則が制定され、会の名前も「同志社大学樹徳会」と改め、会報も復活しました。新しい会則によって年次支部、演習支部、地方支部が復活、あるいは新設され、毎年一回の定時総会も開催されるようになりました。

(4)商学部樹徳会時代 1978年(昭和53年)~

 1965年には樹徳会館が中京区新町通竹屋町下ルに開設され、会の活動も新生面を開くものと期待されましたが、1969年の学園紛争に象徴されるように、世相も新入会員の意識にも急激な変化が見られるようになり、樹徳会も一つの曲がり角にきて会館は撤収、前途を模索しながら1978年に会の名を「同志社大学商学部樹徳会」と改称、商学部卒業生を理事長に選出し、今日に至っています。事務所も会館撤収後各所を転々としていましたが、1995年に新設された商学部交流施設・樹徳会館内に新事務所を開設して事業を推進しています。

Q.樹徳会はどんな事業を行っているのですか。

綱領にある目的を達成するために、樹徳会は以下の事業を行っています。詳細は樹徳会報で紹介しています。

(1)定時総会

 年1回、秋分の日に京都ホテルオークラで開催しています。総会では執行部より年間の活動計画が提案され、具体化のための予算を審議します。総会終了後有識者による講演会と、懇親会があります。懇親会は恩師を囲んでの近況報告や、会員相互間の交流を深める機会です。名刺を沢山用意されて総会に臨まれることをお勧めします。
懇親会終了後はゼミ単位での会合が持たれ、先輩・後輩の絆を強める場となっています。
定時総会の案内は樹徳会事務局から終身会費をお納めいただいた方々に、ハガキでお送りしています。

(2)地方支部総会

 商学部樹徳会では1959年の再発足以来、地方で活躍する会員相互の親睦と情報交換を目的とする地方支部を各地に創設してきました。現在東京、東海、石川県、広島、福岡、大阪、北海道、香川県の8支部があり、各支部で年1回の総会が開かれ、地方の会員交流の機会と場になっています、支部総会には出席した本部役員から樹徳会の現状報告、同席される学部の先生からは大学と学部の現状などが報告された後、懇親会で親睦を深めています。

(3)樹徳会報の発行とホームページの開設

 同窓生間の絆を深めるコミュニケーション・ツールとして樹徳会は「樹徳会報」を年1回発行し、またホームページを2020年9月にリニューアル開設しています。
「樹徳会報」には樹徳会の最近の活動状況や先生方の近況、ゼミ同窓会の会合報告や樹徳会員の投稿など、学生時代の思い出記事を満載しています。
ホームページでは、樹徳会の活動状況、各支部情報などのページとリンクしています。卒業後も同窓生の消息や大学の動きなどを、容易に知ることが出来ます。なお同志社樹徳会Facebookページもあります。併せてご利用ください。

(4)新入会員歓迎パーティ

 新たに樹徳会員になる新卒業生を樹徳会として歓迎し、前途を祝福する会です。毎年商学部の卒業式後に開催しています。商学部の先生方や父兄も多数出席され、学業成績優秀者、特別表彰者、スポーツ優秀者を例年十数名樹徳会として表彰しています。その後の食事会は先生方や卒業生同士との懇親を深める、学生時代最後の、記憶に残るパーティです。

(5)就職活動セミナー

 商学部在学生の就職活動の参考になるよう、商学部OBが実社会の体験を語るセミナーです。希望に応じて随時開催出来るように準備しています。

Q.樹徳会館は会員の交流施設だそうですが。

今出川校地から東へ徒歩約15分、河原町今出川下ル二筋目東入ル梶井町に商学部交流施設の樹徳会館があります。
樹徳会館は、1988年(昭和63年)同志社大学設立40周年、同志社高等商業学校設立60周年記念事業委員会(委員長前川恭一商学部長=当時=)が記念事業の一環として、商学部研究援助基金の創設と樹徳会会館建設を目標に商学部スポーツ関係者、父母会、商学部教員ら(主に樹徳会員)を網羅して募金運動を展開し、取得、同志社に寄付した施設です。
同志社大学商学部樹徳会員をはじめ大学他学部(同志社女子大学を含む)の卒業生および教職員・学生に開放し、相互の親睦を図ることを目的に使用されています。

会館付近の略図

樹徳会館内部 2階 会議室

樹徳会館内部 1階
打合せ室

Q.終身会員になるにはどうすればよいのですか。

同志社大学商学部、同志社大学大学院商学研究科を卒業し、または在籍された方は、同志社大学商学部樹徳会会則第5条により、自動的に樹徳会員です。
入会金12,000円(2023年より15,000円)は卒業時に代理徴収されています。樹徳会の育成・発展の資金となる終身会費をお納めくださるようお願いしています。終身会員には毎年定時総会の案内と、樹徳会報をお手許にお届けしています。

Q.会員住所変更はどうするのですか。

下記(メール・FAX)にお名前・卒業年度・会員番号(案内ハガキ等のお名前の下No0000正)・メールアドレス・新住所及び旧住所・電話番号を記載の上送付願います。(恐縮ですが、電話にての受け付けは、漢字などの間違えを防ぐために致しておりません。是非とも御協力願います。)

同志社大学商学部 樹徳会

〒602–0841 京都市上京区梶井町448-78(京都市上京区河原町通今出川下る二筋目東入)
同志社大学卒業生・教職員・学生交流センター
商学部交流施設・樹徳会館
電話 (075)221–0569
FAX (075)221-0570
E-mail  
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