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著名人紹介

著名人紹介

片岡篤史

atsushi kataoka

1991年

京都府久世郡久御山町出身の元プロ野球選手(内野手)、コーチ。日本ハムファイターズ、阪神タイガースに所属した。

片岡篤史

元プロ野球選手(日本ハムファイターズ~阪神タイガース)

2001年オフにFA宣言し、阪神タイガースに入団する。このオフに結婚。夫人は当時大学4年だった。その後、2児をもうける。

移籍初年度の2002年はセ・リーグのバッテリーの配球に苦しみ不振に陥ったが、翌2003年には規定打席には到達しなかったものの勝負強い打撃で復活し、阪神のリーグ優勝に貢献した。チームが優勝を決めた9月15日の対広島東洋カープ戦では、途中出場の8回裏に同点ソロホームランを放ち、9回裏にも1死一塁からライトへのヒットで一・三塁として赤星憲広によるサヨナラ勝ちを引き出した。

2004年以降は相次ぐ故障で代打での出場が多くなったものの、2005年には代打で6打席連続ヒットを記録するなど、ここぞという時の切り札として活躍し、この年のリーグ優勝に貢献した。

2006年は関本健太郎らにポジションを奪われ、さらに相次ぐ故障からホームランがわずか1本にとどまるなど打撃不振に陥り、体力的な限界からこの年をもって現役を引退した。引退試合となった10月12日の対中日ドラゴンズ戦では6番サードでスタメン出場し、盟友の立浪が守るレフトを越える二塁打を放つなど2安打で有終の美を飾った。胴上げには阪神選手のほか、中日から立浪、谷繁元信、井上一樹、PL学園の後輩である福留孝介、日本ハム時代のチームメイトである奈良原浩、上田佳範も加わった[1]。引退セレモニーでは立浪が花束を贈呈し、片岡と熱く抱擁を交わした[2]。

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三上 真司

SHINJI MIKAMI

1986年

ゲームデザイナー。山口県岩国市生まれ。元カプコン第4開発部部長。現在はゼニマックスグループ傘下の株式会社TangoGameworks代表取締役。

三上 真司

バイオハザードプロデューサー

1990年、同志社大学商学部卒。大学在学中は中国拳法に打ち込む。卒業後、カプコンに入社。『カプコンクイズ ハテナ?の大冒険』、『アラジン』などを開発。1996年にはディレクターとして『バイオハザード』を送り出す。その後、『バイオハザード』シリーズ、『ディノクライシス』シリーズ、『デビルメイクライ』などをプロデュースする。また、『逆転裁判』1~3の製作総指揮をとった。 『バイオハザード4』では自らディレクターも務めた(途中、チーフディレクターに変わる。それについては、『バイオハザード』シリーズ 供給媒体に関する経緯を参照)。

2004年7月1日にカプコンの子会社であるクローバースタジオに移籍し、『GOD HAND』のディレクターを務めるが、2005年の11月には親会社のカプコンを退社してフリーの立場で同作品を完成させる。同年12月に有限会社Straight Storyを起業。カプコン退社後もソフトウェア開発の契約は個別に結んでいる。2007年2月、SEEDS株式会社のちのプラチナゲームズ株式会社とのプロジェクトを個別契約を結び開発している。

2010年3月1日に株式会社Tango設立。10月28日にゼニマックスグループ傘下に入り、TangoGameworksに改名。

バイオハザードの生みの親ではあるが、そう呼ばれることを嫌がっている[1]。

2010年に自らが運営する公式サイトでミニゲーム『HARAKIRI』を公開した。

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桐山 憲一

HATSUNORI KIRIYAMA

1990年

★★★

桐山 憲一

P&Gジャパン社長

【経歴】
1962年11月30日生
1985年同志社大学商学部卒業
1985年4月プロクター・アンド・ギャンブル・ファー・イースト・インク(現P&Gジャパン)入社
1990年ナショナルチェーン担当 支店長
1992年東京支店長
1995年アソシエートディレクター-マーケティングアサインメント(カナダ)
1997年ディレクター-カスタマーチーム(日本)
2000年営業本部長(韓国)
2002年営業統括本部長(日本・韓国)
2005年ジェネラルマネージャー-グローバルスキンケア(グローバル)
2006年ヴァイスプレジデント-グローバルスキンケア(グローバル)
2007年9月プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン㈱代表取締役社長

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林勇気

YUUKI hayashi

1990年

兵庫県川西市出身の女性アーチェリー選手。堀場製作所所属。2008年北京オリンピック代表。松蔭高等学校を経て、同志社大学卒業。身長162cm。体重62kg。

林勇気

アーチェリーオリンピック選手

2005年
ユニバーシアード 団体2位 個人4位
2007年
アジア大陸選考会 2位
国民体育大会 団体4位 個人2位
2008年
アジアグランプリ バンコク大会 11位
2008年北京オリンピック代表

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小瀬 昉

AKIRA OZE

1969年

★★★

小瀬 昉

ハウス食品株式会社 会長

昭和22年3月17日生
昭和44年同志社大学商学部卒業
昭和44年3月ハウス食品工業㈱(現ハウス食品㈱)入社
平成2年6月取締役
平成7年7月常務取締役
平成10年7月専務取締役
平成12年7月取締役副社長
平成14年4月代表取締役社長
平成21年4月代表取締役会長

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沼田宏文

HIROHUMI NUMATA

1990年

兵庫県出身のバスケットボール選手・指導者である。ポジションはセンター。現役当時は204cmの長身から「ジャンボ沼田」と呼ばれていた。

沼田宏文

バスケットオリンピック選手

加古川東高から同志社大学に進学。1970年インカレ準優勝を果たし、1972年ミュンヘン五輪に出場。

卒業後は、松下電器に入社。選手として7度の日本リーグ優勝に貢献、新人王も獲得しベスト5も5度受賞する。1976年にはモントリオール五輪代表となる。

引退後は1997年にバスケット部部長に就任。

2002年から2003年には日本協会男子指導部長も務めた。

2007年、母校である同大バスケットボール部監督に就任。嘱託職員として出向し、3年間で低迷の続く古豪の再建に当たる。また、関西学生連盟理事も兼任する。

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清水圭

SHIMU KEI

1984年

清水 圭(しみず けい、1961年6月24日 - )は、日本のタレント。吉本興業所属。本名、清水圭太(しみず けいた)。京都府宇治市出身。血液型はA型Rh-。

清水圭

お笑いタレント

同志社香里中学校・高等学校、同志社大学商学部卒業。

大学卒業後、アパレルメーカーに就職。2年のサラリーマン経験を経て、1984年6月同志社大学後輩の和泉修と漫才コンビ「清水圭・和泉修(略称:圭・修)」を結成。1986年には、新人の登竜門である今宮子供えびすマンザイ新人コンクールで優勝するなど、関西で多数のレギュラーを抱える人気コンビとなる。

1987年8月~1988年4月までニッポン放送のラジオ番組、「圭・修のオールナイトニッポン」でパーソナリティーを努めるなど東京進出も果たしたが、大成せず東京から一時撤退。再び活動の場を関西に移した。

1993年に清水が東京に再進出してからは、それぞれ単独での仕事(主にクイズ番組のパネラー、レポーターなど)が多くなり、同年にコンビとしては活動休止状態となり、2001年に正式に解散。和泉は2001年に高山トモヒロ(元ベイブルース)と漫才コンビ「ケツカッチン」を結成して活動中。

1994年、香坂みゆきと結婚。現在2児の父である。

サッカー・ゴルフ・サーフィン等をこなすスポーツマンタレントとしても知られる。小5より地元の少年サッカークラブに所属しサッカーを始める。同志社大学在学中はサッカー同好会・三ツ葉キッカーズに所属し、同好会ながら日本一に輝いた。現在は俳優の勝村政信らと葛飾シニア・リーグのサッカーチーム「F.C.ALIANZA」で活動している。

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